Edge of Night

「で、あいつは一体何をふさぎ込んでいるんだ?」
 たばこ屋の前に立ち、たばこを買うための小銭をくたびれた背広のポケットに手を突っ込んで探している風を装いながら、ホァンは言った。
「さあ? オレが知るわけないだろう」
その足下で、毛繕いをしている黒猫、マオが答えた。
「様子が変わったのは、あの依頼の後だがな」
「こないだのアレか。ったく、契約者のくせにしょうがねえなぁ」
「・・・ヘイ・・・眠らない・・・」
 たばこ屋の看板娘のインが、呟く。彼女の目に映っているのは、うらぶれたアパートの一室で、壁にもたれて片膝を抱えているヘイの姿。それが、炊事場の蛇口から垂れる水滴に潜む彼女の観測霊が教えてくれるものだった。
「ああ、ったく、本当にしょうがねえなぁ!」
 ホァンは帽子の下の禿げ上がった頭をガリガリと掻いた。




 何故、彼らが排除されなければならなかったのか、ヘイは知らない。恐らく、マオもインもホァンも知らないだろう。
 組織からの命令はたった一つだった。契約者である男を殺せと。もしも、邪魔する者がいれば、その者も排除してかまわないと。
 ホァンの話では、その男女は姉弟であるらしかった。弟は契約者だったが、姉は契約者ではなかった。
 組織に属していた二人は、何らかの理由で組織にとって不都合になったらしく、排除された。
 弟の能力は吸い込んだ空気を圧縮して撃ち出す事が出来た。暗殺向きの能力を、組織はその通りに使っていたらしい。
 姉はナイフ使いだった。弟を守るために身につけた技術は、彼女もまた一人の暗殺者に変えた。
 ホァンの情報に従い、ヘイはマオとインと連携して、姉弟を追い詰めた。彼らに逃げ場はなかった。自分達が生きるために人を殺し続けた彼らが、今度は逆の殺される立場になった。ただそれだけの事だった。 
「この、黒の死神がぁ!」
「無駄だ。やめろ」
 鋭く突き出された姉のナイフは、ヘイのコートにすら届かず空を切る。軽い跳躍で距離を取ったヘイは、すぐに地面を蹴り、さらに後方へ飛び退る。一瞬前までヘイがいた空間を、圧縮空気の弾丸が切り裂いていく。
 弟の攻撃の間に姉は体勢を立て直し、投擲用ナイフでヘイを狙う。その波状攻撃が姉弟が長年培ってきたコンビネーションなのだろう。
「用があるのは、契約者にだけだ。邪魔をするな」
 無表情な仮面の下から警告する。分かりきっていたが、姉は聞く耳を持たなかった。ホァンあたりには甘いと誹られるが、ヘイは無駄な死は見たくなかった。何より、彼らの姿は、かつての自分達兄妹と重なって見えた。
 一瞬の躊躇いが隙に繋がった。
 姉が体当たりをするように、ヘイの身体の正面から抱きついた。
「今よ、撃ちな!」
 契約者は合理的な思考を持ち、感情が希薄となる。弟に躊躇いはなかった。むしろ自分の身を犠牲にする姉の行動を読んで、彼女がヘイに抱きつくのとほぼ同時に、空気弾は連射されていた。
 ヘイは咄嗟に電気を発し、彼女の腕を振り解いた。連射された空気弾は姉の身体だけを貫いた。彼女の身体と口から血が飛び散った。
「チッ」
 ヘイを仕留め損ね、弟が舌打ちをする。撃ち抜いた姉の事など歯牙にもかけない。表情のない仮面の下で、ヘイは奥歯を噛み締めた。
「何!?」
 姉の身体がゆっくりと倒れていく。その向こうにいる筈のヘイを見失い、弟が目を見開いた。
「上か!」
 気づいた時には遅い。ヘイの放ったワイヤーが弟の身体に絡みつき、そして、人間の身体が機能を停止するのに十分な電流が流された。
 短い断末魔の声を上げ、弟の身体から白煙が上がった。ヘイがワイヤーを回収すると、自分を支える力のない身体は仰向けに倒れていった。白目を剥き、耳や鼻から白煙を上げている彼が絶命しているのは、明らかだった。
 弟の空気弾によって致命傷を受けた姉は、口から溢れる血を拭いもせずに弟を捜して瞳を彷徨わせた。倒れて動かない弟を見つけると、姉は必死に身体を起こした。気管に流れ込んだ血に咳き込みながら、立ち上がる事のできない姉は必死に腕だけで這って、弟の傍に行こうとした。
 彼女は喉に溢れる自らの血に溺れながら、血の痕を引きずって、弟へと近づこうとする。口の中で何事か繰り返しているのは、弟の名前だろう。発語もままならないのに、それでも、彼女は音にならない声で弟を呼び続ける。
 たった五メートルもない距離は、彼女にとって永遠に近かった。必死になって伸ばした血だらけの手は、弟に届く事なく力尽きた。



 ヘイは抱えた片膝に顎を乗せ、くたびれた畳に姉弟の最期を映していた。彼らの死体は組織が片付けた。彼らの手が触れ合う事は二度となかった。
 ヘイは自分の手を見つめ、まだ妹の傍にいた時の事を思い出していた。
 妹の契約の対価は「眠り」。能力を使い大量の人間を殺した後、彼女はあどけない顔でヘイの膝で眠った。
 妹を守りたいと思った。強くなりたいと思った。
 けれど、強くなりたいと願った筈なのに、いつしか人を殺す術だけがうまくなっていった。
 血の紅に汚れた手は黒く染まり、贖う事の出来ない罪は白き骸となって足下に積み上げられていく。
 結局、あんなにも守りたいと願った妹は、今はもう居ない。
 ヘイは何も守れなかった両手を握りしめた。
「・・・ヘイ・・・」
 不意に呼びかけられて、ヘイは驚いて顔を上げた。黒い服の少女がいつの間にか部屋に立っていた。
「イン、どうやって部屋に入った?」
「・・・鍵・・・開いていた・・・」
「そうか」
 鍵を閉め忘れていたのか。いつから自分がそうやって座っていたのかも忘れていた。インから視線を逸らして、突き放すように言った。まだ一人でいたかった。
「何の用だ」
「・・・これ・・・持っていけって・・・」
 顔を上げると、目の前にスプレー缶が突き出された。ヘイが反応する前に、インの細く小さな指がボタンを押して白いガスがヘイの顔に噴霧された。インは可憐な外見に不釣り合いなガスマスクを既に装着している。
「イン、何を・・・」
 スプレー缶を払いのける事も出来ずにまともガスを吸い込んだ。一気に意識が遠のいていく。視界がぼやけて、ヘイはそのまま意識を手放した。
 ガスが消えてから、インはガスマスクを外した。足下に倒れているヘイを見下ろす。玄関のドアが開いて、ホァンが顔を出した。
「うまくいったようだな」
 靴を脱いで部屋にあがるホァンに続いて、マオが彼の足下を擦り抜けるように部屋に入ってきた。
「しかし、催眠ガスとは少し乱暴じゃないか、ホァン?」
「いいんだよ。こうでもしないと、こいつは寝られねえだろう。こいつに気づかれないように睡眠薬盛るほどこっちだって暇じゃねえんだ。にしても、即効性のガスの筈だが、しばらく意識があったみてえだな、こいつ。流石と言うべきか。相手がインじゃなかったら、殺されてたかも知れねえなぁ」
 ホァンが恐ろしげに肩を竦める。
「それにしても、お前がそんなにこいつの事を心配するとは思わなかったよ」
 揶揄するようなマオの言葉に、ホァンが鼻で笑う。
「何抜かしてやがる。オレがこいつの心配なんかするわけねえだろ。こいつが寝不足なんかで仕事でヘマしやがったら、こっちにとばっちりが来るんだ。そんなのはごめんなだけだ」
 インが畳に座り、自分の膝の上にヘイの頭を載せた。
「そうだな、ヘイが目を覚ますまで傍についていてくれ、イン」
 マオの言葉にインが無言で頷く。
「何かあったら、オレ達を呼ぶんだぞ」
 ホァンの言葉にも同じようにインは頷いた。



 中年男と黒猫が出て行き、部屋は静けさを取り戻す。
 偽りの星空を戴き、虚構の壁に取り囲まれた世界の片隅、少女の膝の上で、黒の死神は夢のない眠りにつかの間の休息を得る。

(2008.06.15)



文戯堂の叶ししゃも様からいただきました!
お忙しいと知りつつも、本編を楽しまれたとお聴きしたので
冗談交じりに(半ば本気で)『いつかSS書いてください!』
ってリクエストしたら本当に書いてくださいました。
きゃわー!(@▽@;) あ、有難うございましたーッ!!
もうもう、ヘイもインもマオもホアンも愛しくてタマリマセン。
膝枕とか…!ツンデレ親父とか…! 幸せです。

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