We have a bright moon tonight.



 ルドルフの命を狙う帝国軍の追尾をまきながら、帝国の首都ガイガロスへ向かう旅を始めて、どのくらいの時間がたったろうか。
 最初のうちこそ街道沿いに進んでいたが、首都に近づくにつれ警備も厳しくなる一方、無事に街に入っても、ルドルフの正体に気づかれないように気をつけなければならなかった為、だんだんと悪路を選び、野宿する機会が増えてきている。普通なら疲労が溜まってきそうな物だが、そのことについて文句を言う者は誰もいなかった。

 体力的には一番辛いだろうルドルフ本人も、もちろん何も言わない。この幼い殿下は、短い時間に飛躍的に逞しくになった。自分が皇帝になるのだということを、単に世襲制度を受け入れるからではなく、自分の意志で決めたのだろう。
 どこか痛々しい決意だったが、選びうる未来は自分で切り開かなければならないのだと、彼を守ってくれた人や、出合った人々に教わった。

 バンは、ルドルフの置かれた現状や、ゾイドの力を悪用するプロイツェンのやり方に真っ直ぐな憤りを感じていた。正しいと信じたものを正すことに一生懸命な性分で、どんなに困難に見える道でも突き進もうとする彼の、やるべきことが決まっている時の勢いを止められるものはなかった。

 ムンベイはバンに加勢すると決めた時点で腹を括っている。ルドルフが政権を取り戻したあかつきには…などと、商人らしい計算もあるようだが、バンたちを見捨てておけないというのが本当のところだろう。なんだかんだ言って情にあついのだ。

 アーバインも、ムンベイと似たようなものだった。戦争や政戦は性分には合わなかったが、関わったからには途中で抜けるのは負けたようで面白くない。こうなったら最後まで見届けてやろうじゃねぇか…と決めていた。

 フィーネは、バンについていくと決めたあの日から、ずっと彼の側にいる。
 旅立った時から何も変わらないかのように。



 街道から外れた小さな村で昼食にありついた後、そこから更に帝都に向って進んだ。数時間かけてゴツゴツした岩場を抜けると、どうにか目隠しになりそうな緑地帯を見つけた。その先はまた荒野が続くことが分かっていたので、そこをその日の寝床に選んだ。

 バンが、何か食べられそうな物はないか、森の中を調べに行くと言いだした。 
 実益半分遊び半分、じっとしているのが辛い年頃だ。半日も変わらぬ風景の中、狭いコクピットの中に詰めこまれているのは大人でも退屈する。もっとも、危険な目にあわずにコマを進めたことには感謝しなければならない。
「ついでに薪を拾っといで。燃料を節約できるから」
 とムンベイが声をかけると、「オッケー」と明るく請け負い、ジークとルドルフを従えて緑の向こうへと小走りに姿を消した。
 グスタフから人数分の寝具や食器類を下ろしていたアーバインは、足元で荷物を受け取るために手を伸ばしていたムンベイに、人の悪い笑顔を向けた。
「すっかり子供の扱いが上手くなってるじゃねえか」
 口で負ける筈のないムンベイは表情も変えずに言い返す。
「誰かさんと違って大人だからね」
 誰が子供だよ。そう言い返したら負けなのは分かっていたアーバインは、黙って作業を続けた。バンほどではないが、立ち上がって体を動かせるのが有り難いのは本当だった。
 ムンベイの手伝いをするつもりか、バンについて行かなかったフィーネが面白そうに笑っているのが気になったが、彼女の笑いのツボは常人とは微妙にずれていたりするので気にしないことにした。

 野営の準備は、テントを張るわけでもないので手早く終った。夕食の支度を女性陣にまかせると(フィーネが味付けをすることだけは阻止してもらって)、アーバインの仕事は無くなってしまう。今日は戦闘もなかったから、残弾確認や整備も必要なかったが、逆に言うと相棒も飽き飽きしているだろう。
「ちょっとこの先を見てくる。そろそろ街道に近づくしな」
 昼間手に入れた青物を仕分けしていたムンベイは、微苦笑を浮かべた。
「そうだね。コマンドウルフならちょいと見てこられるだろうし。でもあんまり遅くなんないでよ? それと、変なの連れて戻らないでよね」
 バンに言い聞かせるのと変わらない口調に、アーバインは笑って見せた。
「誰がそんなヘマするかよ。そっちこそ、変なの招き入れるなよ?」
「! 悪かったわね!」
 ムンベイは痛いところを突かれて声を荒らげた。夕飯にしびれ薬を盛られた記憶はまだ新しい。
「フィーネ、良く見張ってろよ」
 駄目押しに、フィーネは律義にうなずいた。もっとも、顔は笑っていたが。
「さっさと行きなさいよ! 帰りが遅かったら先に食べちゃうからね!」
 ムンベイは顔を赤くして手にした野菜を振り回した。スティンガーの一件は彼女にとっても屈辱的失態だったのだ。それもこれも、周りにいる男がこんなのばかりだからいけないのだ、と己に言い訳する。
「いってらっしゃい、アーバイン」
 二人の応酬がほんの遊びだと分かっているフィーネは、苦虫を噛み潰したような顔のムンベイの隣で、いつもどおりマイペースな笑顔で、走り出していくコマンドウルフを見送った。



 岩場を目隠しに利用しながら、コマンドウルフは軽妙な足取りで進む。
 どこに敵が待ち伏せていてもおかしくない領域だが、大軍が潜むには不向きな場所だし、少々の数なら葬ることも、煙にまいて逃げることもできる。レイヴンのようなケタハズレな相手でも出てこない限り、なんとかなるだろう。過信かもしれないが、偵察しておいて損はないし、バンより向いているのは間違いない。
 地図とルドルフの記憶の通り、この先には軍事基地もなく、しばらくは大きな迂回も必要なさそうだと判断して、そろそろ折り返そうかという頃、一つだけ情報には無かったものを見つけた。
 それは、オアシスと呼ぶには頼りない大きさの水溜まりだった。今夜の宿に決めた緑地帯と、街道筋を流れる河の中間地点にあたるそこは、何かの偶然で地下水が湧き出た場所らしい。地図に無いのは小さいからか、或いはいつでもあるとは限らないからか。
 手持ちの装置で飲水にできることを確認したアーバインは、コマンドウルフに詰んだ貯水タンクにそれを汲んで帰ることにした。市販の飲料水の買い置きはしてあるが、タンクいっぱいになる水を見過ごす手はない。
 偵察も無駄じゃなかったってもんだ。
 思わぬ収穫に気分を良くした彼が戻ったのは、ちょうど夕食の支度が整った頃だった。


 バンとルドルフが見つけてきたキノコと、青物で作った食事は旨かった。食費が浮いたとムンベイは上機嫌だったし、保存食を使った料理とはまた違った触感を堪能したバンも上機嫌だった。できれば、肉や魚をガツンと食べたいところだが、少量とはいえ干し肉も入っていたのだし、我慢するしかないだろう。
 一人で過ごしていたときより格別にまともな食事にありついているので、アーバインにも文句はない。ルドルフは、皆でわいわいと食べること自体が楽しいらしい。大変な事態に陥っている筈の殿下だが、初めて歳相応の少年の楽しみを経験しているのかもしれない。
 フィーネもにこやかに食べていたが、ふと、頭上に目を向ける。正面に座っていたアーバインが真っ先に気づき、何かあるのかと目線を追う。
 木々の隙間から見える空が、日暮れと夜の境目の紫色に染まっていた。今日は雲が少なく、突き抜ける様に空が高かった。コマンドウルフの中から、真っ赤に熟れた太陽が地平線に落ちようとしているのを見たことを思い出す。
「何? 何かあるの?」
 今度はムンベイが上を向く。フィーネは時折予言めいたことを言い出すので、少し声が硬い。だが、彼女は呑気な声で答えた。
「一番星」
 正確には先ほどから星は見え始めていたのだが、木陰にいたので気づかなかったのだろう。自分たちの周りがランプによって明るいせいもある。
「何だ…星かぁ」
 同じように見上げたバンが、気が抜けたように呟いた。
「こんなに明るい空のうちから見えるなんて、以前は知りませんでした」
 ルドルフが真摯な声で言う。特殊な育ちの彼は、こんな時間に外にいることなどなかったのだろう。或いは、都会は明るくて星も隠れがちだったのか。
「今日は雲が少ないし、月が明るいかもね」
 ムンベイが何となく会話を続けたが、きっかけになったフィーネは聞いているのかいないのか、さじを器に入れたまま、ボンヤリと見上げている。
 
 アーバインは食事に意識を戻しながら、そんな彼女の様子を見ていた。
 以前からぼんやりしているところのあるフィーネだが、最近はとくに、どこか人と違う所を見ていることが多い様な気がする。どこがどう…とは説明しにくいのだが、何かが変わったように感じるのだ。

───もっとも、何か分かったような気になってただけかもしれないけどな…。

 記憶を失っている彼女には、本人にも分らないことが沢山あるのだ。他人がその全てを知りうる筈もない。危険を察知したならともかく、今はただ星を見ているだけの彼女について、何かを考える術もない。
 アーバインは自嘲気味に口元を歪めると、答えの出ない思考を打ち切った。


 腹を満たした皆がひとごこちついた頃、偵察の結果を話し合った。
 予定通りの道を行くことにして、彼が見つけた泉に立ち寄って他の貯水タンクも満たそうと決めた。ここ数日、絞ったタオルで体を拭くことしか出来なかったムンベイは、時間に余裕があれば行水が出来ると色めきたち、明日の朝は早めに立とうと言い出した。
 もともと何もない暗い森での野宿だ。早寝することに異議のない面々は、そうそうに布団に潜った。

 皆が横たわり会話が途切れると、頭上の枝を風が揺らす音が思いのほか大きく思える。寝やすい体勢を探して無意識に繰返される、誰かの寝返りの音も聞こえる。静けさの中では些細な音が響くものだ。
 だが、そんな音に邪魔されて眠りに就けないほど神経質ではない彼らは、やがて一人、又一人と、寝息を立てていった。



 ふと、誰かに呼ばれたような気がした。

 水底からゆっくりと浮上するように、ごく自然に覚醒していくのを自覚したアーバインは、閉じたままの瞼に柔らかい光が当たっていることに気づいた。
 鳥の声もしない。感覚的にも夜明けにはまだ時間があるはずなのに、何で明るいんだ…? 訝りながら薄目を開けると、枝と枝の間、彼らのちょうど真上に双子の月が輝いていた。
 そういやムンベイが何か言ってたな…。
 寝起きの目にはやや眩しいその光に瞬きを繰り返しながら、無意識に仲間の方へと視線を巡らした彼は、誰かが上体を起こして月を見上げているのを見つけて一瞬間ギョッとする。
 すぐにそれがフィーネだということは分かったが、いつから起きていたのか、微動だにしない彼女はまるで息をしていないように見えた。薄闇の中、淡い光に照らされた横顔がいつもより儚げな印象で、そのまま闇に溶けていくのではないかという危うさに、思わず名前を呼んでいた。

「…フィーネ?」

 息が漏れたような低い声だったが、静けさの中、彼女の耳に届いたらしい。微かに身じろいで、アーバインの方を振り向いた。目が合うと、少し驚いた表情をした、いつものフィーネだった。
「どうした…? 眠れないのか?」
 アーバインは他の皆を起こさない様に、声を潜めたまま話し掛けた。フィーネは少し躊躇うような仕種をしてから、小さく肯いた。それから、同じように小さい声で返事を寄越す。
「夢を見たの…」
「恐い夢か?」
 彼女の声を聞いて、先ほど感じた焦燥感が薄れていくのを感じたが、自分が何を慌てていたのか、不可思議な思いをぬぐえないまま彼女を見つめた。
 フィーネは首を横に振って否定したが、どんな夢なのかは説明できないらしい。ただ、困ったような顔でアーバインを見ている。その瞳は暖かな赤い色をしている筈だが、月明かりの中では深い色に沈んで見えた。
 このまま朝まで見つめ合っているわけにもいくまい。
 アーバインは音を立てないように体を起こすと、自分の上掛けを半分めくり、布団を軽く叩いて示した。
「来るか?」
 一瞬、何を言われたのか分からなかったフィーネは、きょとんとした顔でアーバインと彼の差した布団を見比べていたが、動かない彼女に自分の行動が唐突であったことに気づいたアーバインが顔を顰めたのを見て、くすりと笑い声を漏らした。

 子供の頃、夜中に目を覚まし心細さに泣いている妹に添い寝して、再び寝付くまで背中をさすってやったことが何度かあった。だが今は、そんなことを思い出すよりも先に体が動いていて、自覚した次の瞬間、自分で呆れた。
 フィーネは夢に脅えるほど幼い子供では無い。少なくても自分が彼女の年頃には、早く一人前になりたくて子供扱いされるのが、たまらなく嫌だった。
 それどころか、もしかしなくても、微妙な年頃ではないか? 何がって、その、アレだ。第二次成長期ってやつだ。

 短い時間で高速に思考が回ったアーバインだったが、忘れてくれ、と自分の行動を無かったことにしようとするよりも先に、彼女が枕を手に立ち上がりバンの足元を忍び足で移動してくるのを見て、自分の体を布団の端にずらした。
 フィーネは何か笑いをこらえたような顔で、そこへ体を滑り込ませ、アーバインの方を向く形で横たわる。微かな衣擦れの音がこそばゆい。
 今更どうすることもできず、複雑な心境のままアーバインも横向きに寝転び、右肘を立てて頭を支えた。少しだけ、顔と顔の間に距離ができる。
「何かあったのか?」
 黙ったままなのが辛い気がしてひっそりと声をかけると、フィーネは何かを考えるような間を置いてから、
「月を見ていたの」
 と答えた。夢見が悪くて目を覚ましたら、真上に月があったから。そういうことなのか? だがアーバインは、最近の彼女の様子からそれだけではないのだろうなと察しをつける。

 本当は、彼女の様子が変わったのはジークと一緒にシールドライガーに入ってからなのだと気付いていた。正しく言えば、ブレードライガーから無事に戻ってから…だ。
 あの大きな繭の中で何が起きたのか、どうしたらあんな凄いことができるのか、想像も及ばない。謎の多いオーガノイド、ジークの力の成すところだったのは分かる。バンの話では、石化していたシールドライガーを蘇らせたのもジークだったそうだから。だが、あの時はフィーネも一緒だった。ジークだけでなく、彼女の力が必要だったということだろう。何しろ、ディー爺さんが驚く程の急激な進化だったのだし。
 じゃあ、そのフィーネの力ってのは何だ?
 その力を使うことで彼女に何かあったのか?
 だいたい、こんな小さい少女になぜ、そんな力があるんだ?
 聞きたいこと、知りたいことは山ほどあったが、アーバインはそれを口にするのを躊躇った。黙っているということは、彼女にも分らないことか、或いは言いたくないことなのではないか。
 それを無理矢理聞き出すような真似はしたくなかった。 

「…今夜の月は随分明るいな」
 何も気づかなかったふりで、話を合わせると、フィーネは小さく笑って肯いた。
「これなら夜道も迷わないね」
「鼻をつままれることも無さそうだ」
「何それ」
 ひとしきり、他愛の無いことを言い合う。皆を起こさないように声を潜めなければならなかったが、笑った拍子に漏れた息が頬に触れる程の距離なので聞き漏らすことはない。
 そうしているうちに眠くなってきたのか、フィーネが小さなあくびをするのを見て、アーバインは上掛けを直してやりながらその肩の辺りを軽く叩いた。
「落ち着いたんなら、もう寝ろよ」
「うん」
 フィーネは素直に肯いて、目を閉じる。が、すぐに開いてアーバインの顔を見上げた。
「アーバイン」
「ん?」
「朝までここで眠っていい?」
 彼女が眠りについたら元の布団に戻してやろうと思っていたアーバインは、その言葉に一瞬詰まった。
「…その方がいいならな」
「…うん」
 フィーネは嬉しいような、哀しいような、不思議な微笑みを浮かべた。それから少し体を揺すって、額の辺りをアーバインの方へ寄せるようにして目を閉じる。
「ありがとうね、アーバイン…」
 呟きは彼女自身の胸元に吸い込まれて、こもった音になった。眠気も手伝っていつもより甘えた響きをともなうその声に、アーバインは苦笑を浮かべる。
「いいから寝ろ。明日の朝辛いぞ」
「うん…」
 その返事を最後に、二人は黙り込んだ。

 やがて、フィーネが静かな寝息を立てる頃、アーバインもゆっくりと頭を枕に落とした。間近にある彼女の旋毛を眺めながら、結局、彼女が何を思って月を見ていたのかは分からなかったが、フィーネが自分で乗り切ろうとしているのならそれでいいか…と思う。
 もともと一人で生きてきた彼は、彼女に対しては何故か他に比べて保護者的な態度を取りがちだが、それでも、それぞれの領域を守る気持ちは強くあって、勝手に踏み込む真似をしようとは思わない。裏返せば、自分の領域に踏み込まれたくないからなのかもしれないが…。
 とりあえず今現在の気がかりは、明日の朝、他の連中より先に目を覚ますことはできるかどうかだ。朝から気まずい思いをするのは避けたいものだ。
 フィーネの規則正しい寝息と、近い場所にある体温に促されて、徐々に睡魔がやってくるのを感じながら、アーバインは嘆息した。


 早朝。どうにか誰よりも早く目を覚ますことに成功したアーバインは、まだ眠っているフィーネを気づかいながら、そっと布団を抜け出した。
 実は、目を覚ました瞬間、腕の中に彼女がいて、かなり焦った。無意識に抱き寄せていたらしい。やましいところは全くないが、誰にも見られなくて本当に良かったと心底から思った。
 周囲に異常がないかグルッと見回りをしているうちに、ムンベイが起き出し、その気配に目覚めのいいルドルフも起き上がる。ジークはフィーネかバンが起きるまでは体を起こさないが、目は覚めているようだ。(もしかしたら全部見られていたかもしれないが、言葉が通じないのが今回は有り難い)
 バンは寝汚いから、揺り起こすまで起きないし、いつもならすぐに目を覚ますフィーネも今朝は少し寝足りないのか、まだ起きる気配はなかった。
「おはよう」
「おはようございます」 
 髪をいつもの形に結いながら、ムンベイが声をかけてくる。ルドルフも行儀良く挨拶するが、まだ少し眠そうだ。
「おう」
 アーバインは適当に短い返事をするが、実は二人の視線が気になっていた。
 一緒に寝ているところは見られなくても、フィーネが寝ている筈の布団にいないのは一目瞭然で、彼女が今寝ている場所に誰が寝ていたかも、二人は当然知っている。
 ルドルフは不思議そうな顔でそれを見ていたが、幸い何も聞いてこなかった。
 冷やかしの一つも言ってくるかと思ったムンベイも、ちらりとフィーネに目をやっただけで何も言わなかった。彼女も最近のフィーネの様子が変なことには気付いている様子だったから、そのせいかもしれない。
 後はバンだけだが、彼がフィーネより先に起きることはまずないので大丈夫だろう。アーバインは人知れず胸をなで下ろした。


 結局、支度が終るまで起きてこなかった二人を起こして、朝食にする。特に会話も無かったので早めに食べ終わり、後片づけを手分けして行うと、まだ日が高く登らないうちに出立した。
 昨日見つけた泉で行水するというムンベイの意気込みが通じたのか、順調に行程は進み、足の遅いグスタフにしては早い時間に目的地に着いた。

 間仕切りも目隠しも無い場所なので、女性陣から先に浴びることになったのだが、グスタフの向こうに居るようにと厳命された男どもが移動しようとすると、ムンベイがアーバインだけを手招きする。
 何事かと思って踵を返し、内緒話の仕種をするので身をかがめると、真面目な声色で言ってくる。
「変な気をおこしたら承知しないよ」
 今さらな忠告にムッとしたアーバインが顔を見ると、声に反して彼女の顔は笑っていた。
「昨夜のことは見なかったことにしてあげよう」
「!」
 実はムンベイは日が昇るより前に一度、目を覚ましていた。もう一眠りしようと寝返りをうった拍子に隣に寝ている筈のフィーネがいないことに気付いて体を起こし、彼女から一番遠いアーバインの布団にその姿を見つけたというわけだ。
「だ…あれは、ちが…!」
 すっかり油断していたアーバインは咄嗟に何も浮ばず、ただ、パクパクとあえいだ。その様子は見ていて充分楽しかったが、ムンベイは彼を苛めるのが目的ではなかったので、追いつめようとはせずに話を続けた。
「フィーネも何だか元気になったみたいだし、いいんじゃないの?」
「あ? ああ…」
 良く分からないなりに肯いたアーバインの胸元を手の甲でポンと叩いて、もう一度だけからかうのは忘れなかったが。
「あんたの寝顔も幸せそうだったしね」
「……ムンベイ」
 遊ばれていることに気づいたアーバインが声を低くすると、ムンベイはからからと笑って離れて行った。
 …まったく、適わない。もしかしたら、昨日の敵を討たれたかな? アーバインはどうにか平素を繕いながら、バンたちの方へと歩き出した。

 正直、フィーネが元気になったかどうか良く分らないが、今朝起きてきたときの彼女は、いつもと変わらない様子に見えたからそれでいいのだろうと思う。
 誰にも晴天の日ばかり訪れるわけではないし、痛みを知らない奴など信用ならないが、近くにいる奴には元気に笑っていて欲しいと思うのも本当だ。
 何をしたということもないが、気持ちの切り替えくらいには役立ったのかもしれない。そう思えば、多少の気恥ずかしさも無駄ではない。


 もしかして、一番恥ずかしい状態(自覚なき抱擁)を見られたのかもしれないと彼が思い当たったのは、しばらく経ってからだった。
 盛大な溜め息が出て、バンたちに不審がられたが、今更どうにもならないと諦めて、少し雲の出てきた空を見上げた。

END.
We have a bright moon tonight.
8,6,2001. Ryou Hatoba

010822 挿し絵にするとネタバレになるのでここに。この場面で良かったですか?(誰に聞いてるのか)
や、期待されてるかな〜とか。(笑)


後書き。

どうも。一年ぶりの、アーバイン(と小さいフィーネ)のお話しです。
時間的には、「助けた男」の前後を想定しています。フィーネの記憶が戻った後、しばらくしてからですね。本編では、Drディーだけがそのことに気づいたことになってましたが、ずっと一緒にいたアーバインやムンベイだって、何か感じるところはあったんじゃないかなぁ…と思ってこんな話になりました。(バンはいろいろ真っ直ぐなので、気がつかなかった様な気がします)

アーバイン視点寄りの、二人の距離感を描くのが好きな様です。どうにもじれったい距離ですが、このあたりが限界のようで。…じれったいのが好きなのか?(…?)
いえ、あんまり逸脱できないのが大きな理由のヒトツだって分ってるんですけど。煙はたてられても、火はおこせないという…。フィーネがどう感じているのか私の中では筋道だってるんですけどね。いつか彼女視点のアーバインていうのも書いてみたい気もします。

突然ですが、私が最初に書きたいと思い付いた場面はどこでしょう。
答え。目を覚ましたアーさんが、フィーネに呼びかけるところ、でした。
え、嘘吐け、添い寝だろうって? や、そこも書いてて楽しかったんですけど。第二部でのアーさんの「添い寝」発言にはメロったものですし。(笑) でも、最初に浮んだビジュアルはソコだったのです。

たまにしか話を作れない奴ですが、私なりに愛情込めて書きました。どこかヒトツでも気に入っていただければ嬉しいです。感想とかお聞かせいただけると泣いて喜びます。m(_ _)m

ハトバリョウ。

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